コネクタテレビとは、アートや文化の現場にいろんなカタチで関わる様々な人々の動きを紹介していく番組です。
昭和初期に描かれた屏風にシミが出て、はじめて修復の必要に迫られた作品所蔵者が、芸工展を通じてその存在を知り、仕事を依頼した修復工房「伝世舎」の二人に話を聞いた。
出演・協力:三浦功美子、嶋根隆一(伝世舎) 聞き手・写真提供:桑原美鷹(画家の娘) 撮影・編集・聞き手:丸井隆人(画家の孫) 企画・制作:npo recip
修復工房「伝世舎」(東京 池之端) http://www.denseisya.com/
芸工展(東京 谷中・根津・千駄木・日暮里・上野桜木・池之端界隈) http://www.geikoten.net/
屏風を描いた画家:丸井金猊(1909〜1979年) http://kingei.org/
祖父が描いた屏風作品を所蔵している実家(東京・谷中)の展示・収蔵空間で、水漏れ、空調設備不良とトラブルが相次ぎ、それからしばらくして屏風を見ると、人物の顔のあたりに今までなかったシミが大量に発生しているのを発見し、慌てて修復業者を探さなければならなくなってしまった。戦前から特に大きな損傷もなく保管し続けられた作品がある日を境にシミだらけというのは慮外の出来事で、遺族の動揺も計り知れないものがあった。
修復業者探しでは、最終的に実家地元の谷中・根津・千駄木・日暮里・上野桜木・池之端界隈で毎年秋に開催される芸工展に「修復のお仕事展」というテーマで参加していて何度か展示を観に行っていた伝世舎に依頼。屏風が非常に大きいので搬出はせず、実家に通って作業してもらうことになった。通うと言っても徒歩5分と掛からないご近所さんである。
映像の中でも語られるように作業は屏風を解体して一度紙を引き剥がし、洗ってシミ落としをするような本格的な処置ではなく、表面上のドライクリーニングを行って、パステルカラーでシミ部分をカバーする簡易な修復方法が選択された。ちなみに本格的な処置を行った場合はどこの業者でも200万円以上の出費となることは必至である。そして解体となると元に戻せなくなるリスクは高まり、その上、シミは抜けてもシミ跡は消えるわけではないのでそこに上塗りするかどうかの選択を迫られることになる。
伝世舎はそうした一つ一つの状況説明が明快で押しつけもなく、また、何よりもご近所さんというのが心強く、幾つかの候補業者の中から伝世舎に依頼することで落ち着いた。そして、その年の芸工展では実家(谷中M類栖)で「丸井金猊∞屏風修復」展と題し、伝世舎の仕事ぶりを伝える展示を行い、展示準備に入る前のタイミングで伝世舎のお二人にコネクタテレビの取材という形で、インタビュー撮影を行った。
その公開が取材した2013年9月26日から約1年後となってしまったのは取材映像を9ヶ月放置した筆者の怠慢にもよるが、編集作業に入ってからも思わぬところで躓き、興奮しながら話を聞いた取材時の感覚からすると、やや難産とも言える制作プロセスを踏むこととなった。
その理由は、一つには「作品の修復を依頼する」ということ自体が実はあまり一般的なことではなく、それを経験した自分自身にリアリティがあっても、そう受け取らない人たちが多くいるということにコネクタ会議を通じて気づかされたからである。
もう一つは修復被験者であり取材者である自分自身の立ち位置を映像の中にどう置くか? その説明がここまでの話のように無闇に長いと映像を観る人に「修復」という主題を見えにくくしてしまう。その一方で最低限の説明がないと「修復」自体のハードルが高いだけに観る取っ掛かりが得づらい。そこをどう解決させるかでしばらく悩み、タイトルに「はじめての修復」という自身の立ち位置そのものを示す柔らかい言葉を見つけるまで時間が掛かってしまった。
編集を終え、経験したことで得られた自分自身のリアリティが未経験の他者にも何か伝わるものとなったのか? 正直なところ、今もよくわからない。映像の中で伝世舎の三浦さんは「お医者さんのカルテみたいな」という表現をされるが、修復の問題は「病気」と似たようなところがあるなとつくづく感じさせられた。病気というのも罹ってみないとそれについて考えようとはなかなかしないものだ。だが、いざ罹ると急に幾つもの判断を迫られることになる。もちろんそこで慌てて知識を詰め込み、適切な判断を下せるようにせねばと言いたいわけではない。そこで多くの人は、人を介し、情報を介し、最後は運に任せて一つの選択をすることになるのだろう。その運任せの手前の心の準備にこの映像が一役買えるときがあったなら幸いである。
動画:SANYO Xacti DMX-HD2000 写真:Canon EOS 30D, RICOH CX3 編集:Final Cut Pro 7.0.3, Apple Inc.